[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (3)

 ぶらり、本屋に入った。
 再版された『真夜中へもう一歩』が『マイク・ハマーへ伝言』と並び、平積みになっていた。
 昨秋、薄暗い地下の喫茶店で「このミステリーがすごい!」の対象作品リストを盗み見て、ようやく、ぼくは矢作俊彦がミステリを書いていたことを思い出した。『ロング・グッドバイ』が「このミステリーがすごい!」四位にランクインしてようやく、ぼくは矢作俊彦がミステリーを書いていたことを思い出した。
 手に取り歩きながら、財布を胸から引っぱりだした。
 『真夜中へもう一歩』など、もう四冊めになるのではないか。高橋源一郎の解説に抱腹絶倒するために、新品の文庫を買うくらいの金ならある。ベンツのSクラスを買う金はないが、そんな金が欲しかったことは一度もない。
 欲しいものはそれではないのだ。

[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (4)

 下北沢の居心地の良いカフェで、居心地の悪い椅子に座り、昼間からカールスバーグをあおる。
 見回すと、客のほとんどが女性だ。
 カフェどころではない。バァに入ったって、この街じゃ似たようなものだ。「あたし、酔っちゃったァ」と嬌声が響いて、どうして悪酔いせずにいられるだろう。いやいや、出る酒だって焼酎か泡盛か目薬入りのフローズン・マルガリータだ。そりゃあ、ぼくだってキューバ・リブレしか頼まなくなろうってもんだ。
 だから、ぼくたちは、二丁目のメンオンリーのバァに逃げこむ。
 葉巻を喫い、酒を呑むために。
 しかし、このカフェの居心地の良さを、店員が美人だってところに求めているあたり、ぼくに救いはないのだ。

[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (1)

 おしなべて、ぼくの周囲にはそんな奴らしかいない。
 マカオに往ってきたと告げれば、「『深夜特急』は読み直したか?」と返すような奴らだ。
 高校生の時分に読んだ単行本は、実家に放ってきた。母親が買い、ぼくと(勘当された)ぼくの弟に与えた幾冊だ。『沢木耕太郎ノンフィクション』は九巻全部を買いそろえたはずだが、記憶といっしょに酒場のくらがりにバラバラに溶けていった。
 だから、ヴィレッジヴァンガードで買い直すことにした。
 文庫版を。

[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (2)

 東京に出てきたばかりのぼくは、「好きな作家は?」と訊かれたら、恥ずかしそうに矢作俊彦と応えることにしていた。
 きっかり十年前のことだ。
 訊かれたのはたった一回、それも大学の文芸サークルの飲み会だった(驚くべきことに、ぼくはまだ、その文芸サークルにいすわりつづけている)。自棄になって、電子メールのシグネチャに『スズキさんの休息と遍歴──またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』の一節を忍びこませた。そのころ、ぼくは光通信系のウェブ(もちろんウェブ・ワン・ポイント・ゼロ、いやいや、もっと古かったかも)ベンチャー新宿三丁目の雑居ビルの二階にあって、近くの銭湯は銭湯と言うよりも発展場と呼ばれるべき代物だった)でパートタイムのプロレタリアートをしながら、土下座営業のなんたるかを実地で学んでいた。演劇あがりの事務兼経理兼デザイナーの女性が、ぼくのシグネチャを鼻で嗤った。しかし、彼女が告げたのは別のことだ。「ありゃ、かわいい女のコねえ」、ぼくのマシンの壁紙に言った。
 あれから十年が経った。
 いまだにガールフレンドの写真をマシンの壁紙にしている。
 ときどきね。

[文学フリマ] アキバッパラブンガクスタイル (5)

 秋葉原カップルが増えた。
 メイド喫茶どころではない。『R25』が妹宅配までフィーチャリングするような世の中だ。
 鹿島建設株式会社は説明する。
「様々な専門領域の人や情報が集うとともに、これらがクロスして切磋琢磨することで、ITを活用した次世代のビジネスを創造する場になることを目指した」
 第四回文学フリマは、それではない秋葉原で催される。

[文学フリマ] アキバッパラブンガクスタイル (4)

「交通広場とは道路交通と他の交通機関との結節点に設けられる広場で、」
 ぼくたちの明晰さがドゥルーズやらガタリやらを持ち出してくるのをうんざりしながら見つめる醒めた眼のことを忘れるな。結節点が権力と密接に関係する時代が終了したのは、パリの五月が理由ではない。総力戦体制=統制経済が世界の複雑さに対処できなくなったからだ。
 Union of Soviet Socialist Republicsは、どこかに往ってしまった。