[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (3)
ぶらり、本屋に入った。
再版された『真夜中へもう一歩』が『マイク・ハマーへ伝言』と並び、平積みになっていた。
昨秋、薄暗い地下の喫茶店で「このミステリーがすごい!」の対象作品リストを盗み見て、ようやく、ぼくは矢作俊彦がミステリを書いていたことを思い出した。『ロング・グッドバイ』が「このミステリーがすごい!」四位にランクインしてようやく、ぼくは矢作俊彦がミステリーを書いていたことを思い出した。
手に取り歩きながら、財布を胸から引っぱりだした。
『真夜中へもう一歩』など、もう四冊めになるのではないか。高橋源一郎の解説に抱腹絶倒するために、新品の文庫を買うくらいの金ならある。ベンツのSクラスを買う金はないが、そんな金が欲しかったことは一度もない。
欲しいものはそれではないのだ。
[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (1)
おしなべて、ぼくの周囲にはそんな奴らしかいない。
マカオに往ってきたと告げれば、「『深夜特急』は読み直したか?」と返すような奴らだ。
高校生の時分に読んだ単行本は、実家に放ってきた。母親が買い、ぼくと(勘当された)ぼくの弟に与えた幾冊だ。『沢木耕太郎ノンフィクション』は九巻全部を買いそろえたはずだが、記憶といっしょに酒場のくらがりにバラバラに溶けていった。
だから、ヴィレッジヴァンガードで買い直すことにした。
文庫版を。
[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (2)
東京に出てきたばかりのぼくは、「好きな作家は?」と訊かれたら、恥ずかしそうに矢作俊彦と応えることにしていた。
きっかり十年前のことだ。
訊かれたのはたった一回、それも大学の文芸サークルの飲み会だった(驚くべきことに、ぼくはまだ、その文芸サークルにいすわりつづけている)。自棄になって、電子メールのシグネチャに『スズキさんの休息と遍歴──またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』の一節を忍びこませた。そのころ、ぼくは光通信系のウェブ(もちろんウェブ・ワン・ポイント・ゼロ、いやいや、もっと古かったかも)ベンチャー(新宿三丁目の雑居ビルの二階にあって、近くの銭湯は銭湯と言うよりも発展場と呼ばれるべき代物だった)でパートタイムのプロレタリアートをしながら、土下座営業のなんたるかを実地で学んでいた。演劇あがりの事務兼経理兼デザイナーの女性が、ぼくのシグネチャを鼻で嗤った。しかし、彼女が告げたのは別のことだ。「ありゃ、かわいい女のコねえ」、ぼくのマシンの壁紙に言った。
あれから十年が経った。
いまだにガールフレンドの写真をマシンの壁紙にしている。
ときどきね。
やばい
毎日更新とか言っておきながら、全然、更新できません。
理由は三晩連続新宿をうろついていたせいです。
今週は文体について書きます。そんな予定です。