[文学フリマとあんまり関係なくなってきた] 通過者たちの文体 (2)

 東京に出てきたばかりのぼくは、「好きな作家は?」と訊かれたら、恥ずかしそうに矢作俊彦と応えることにしていた。
 きっかり十年前のことだ。
 訊かれたのはたった一回、それも大学の文芸サークルの飲み会だった(驚くべきことに、ぼくはまだ、その文芸サークルにいすわりつづけている)。自棄になって、電子メールのシグネチャに『スズキさんの休息と遍歴──またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』の一節を忍びこませた。そのころ、ぼくは光通信系のウェブ(もちろんウェブ・ワン・ポイント・ゼロ、いやいや、もっと古かったかも)ベンチャー新宿三丁目の雑居ビルの二階にあって、近くの銭湯は銭湯と言うよりも発展場と呼ばれるべき代物だった)でパートタイムのプロレタリアートをしながら、土下座営業のなんたるかを実地で学んでいた。演劇あがりの事務兼経理兼デザイナーの女性が、ぼくのシグネチャを鼻で嗤った。しかし、彼女が告げたのは別のことだ。「ありゃ、かわいい女のコねえ」、ぼくのマシンの壁紙に言った。
 あれから十年が経った。
 いまだにガールフレンドの写真をマシンの壁紙にしている。
 ときどきね。