なにもかもが市場にぶちこまれ、差異と価格しか存在しない世界で、けれども怨念はまだある。怨念なんて持ってないふりをする巧妙なやりくちを身につけたとしても、それはまだ確かにある。渋谷のカフェでiPodに入った『イントロダクション〜世界革命戦争宣言』を聴かせて、サブカルを気取ることだってできるようになった。だが、それは確かにある。最初からサブカルしか知らないきみたちには判らないかもしれないが、あの八〇年代を伏流水のごとく通りぬけ、俺たちが継承したものは確かにある。

それは思想なんかではない。おそらく、かぎかっこつきの貧しさと称されるような、ある種の風景だ。