アレなことを言い返すとさ、だからこそ、俺たちはものを貸したり借りたりするんじゃない。たとえば『スキマスキ』にはっきりと、綱領としてそれは描かれている。つまり、「女のコ」と話すきっかけを保持しつづけるために「男のコ」はものを貸すのだ、と。

「関係性みたいなもの」は、もしかしたらこちらからあちらへだけでなく、あちらからこちらにむかってさえ存在しているかもしれない。という、つまりそういう話にすぎない。すくなくとも綱領によって様式化された世界に生きていることを認めるなら、俺たちはそれを望む自由を許されるんじゃないだろうか。