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文章を書いていた。二本の映画と、一本の小説に関する文章だった。原稿用紙十二枚ぶんの升目を埋めるのに四時間かかり、それを修正するのにさらに二時間かかった。書きあがったものは評論とは呼べないしろものだった。要望に応えて、出だしの部分をいくつか。
『涙女』
「あたしのしている仕事ですか? 『涙女』みたいなもんですよ」
微笑に歪んだ女の貌に、ぼくはその映画を見るべき理由を発見していたのかもしれない。しかし、上映している映画館は、円山町に向かう道すがらにあった。それが映画を見るべき理由にならないと、誰に断じられるだろう。
恵比寿ガーデンプレイスに赴き、彼は十四時〇五分の回のチケットを二枚購入した。昼過ぎには、当日のチケットがすべて売り切れるという噂だった。資本主義に万歳するべきか、唾を吐きかけるべきか、彼は思い悩んだ。しかし、唾を吐きかけるべきは彼自身だったに違いない。対手との待ち合わせ時間まで、まだ二時間を残していた。そんなふうにマメであることを、彼が彼に許したわけはない。たとえその日が三月十四日だったとしても、たとえ彼がジャックナイフよろしく花束を隠し持っていたとしても。
彼のしたことが、共産主義に対する冒涜でなくてなんだろう。
もちろん、彼がその冒涜を、意図的になさなかったはずもない。
言うまでもない。探偵はコミーと闘うものだ。きみたちの大好きな安楽椅子に座ってラリってるあ奴はいざしらず、街場をうろつきまわる探偵なんて、そも出自からして資本家の犬だったじゃないか。
それだけで、この小説がハードボイルドだと断じるに充分だ。
探偵は資本家に雇われ、コミーと闘う。
資本家は、──美少女だ。