「口説いてるときにフランコだ、シャーマン戦車だ、コンミューンだ中産階級だなんて言うんじゃないよ。今さらそんな手、本郷通りのカレー屋でだって通じないぞ」

文章は、しかし、一九八二年に書かれたものだ。だとしたら、そのカレー屋は。いやいや、そんなことはほんのすこしだって重要ではない。けれども、苦笑とともに俺たちはほんのすこしだけ傷みを感じていく。そんな手が通じたわけってない。試したことすらない。ないはずなのにどうしてだろう、ほんのすこしだけ。