私的な空間が少なくても日々を生きていけるというのは良くないのではないか。共同生活もぜんぜん平気だし、どこででも寝ることができてしまう。つまり、繊細さがなく鈍感なのだ。それは同時に、壁の作り方の問題でもある。たとえば、俺はひとと話すときに二人称を用いることが多い。「あなた」であったり、「きみ」であったり。普通は「○○って、△△は好き?」と訊くときに、「きみって、△△は好き?」と訊く。それはきっと、彼我の境界をはっきりさせる行為なんだろう。そしてたぶんに、お行儀の悪い行為だ。