なつかしい風景をなつかしむべし、そんな律法がこの国にあったのはいつまでだろうか。やはり、横揺れしていた頃までだろうか。あるいは、矢作俊彦が揶揄した新潟のある家の縁側の写真が映しとられたまさにその頃、縁側が縁側として機能していたあの頃までだろうか。なつかしむべき風景を持たない人間は、永劫、きっとウヨクになれないんだろうな、とぼんやり考えたりする。