村上龍の、あるエリアには美人の女と金持ちの女と仕事ができる女の三種類の女しか存在できないという言葉は(引用元は引越のせいでダンボール箱のなかだが)、一面の真実はついている。言葉は、自立した女は選択権を持つという言葉につながっていく。同時に、ほとんどの女がどこかでなにかを妥協しなければならないということを示唆する。

女と男をいれかえても、文言は成立する。逆転した論理の上で、選択権あるいは妥協の程度は、彼女/彼が持つ資源の量によって決定される。DINKS という言葉を聞くたびに俺が考えるのはそういうことだ。既に結婚した友人が執拗に結婚を勧めるときに考えるのもそういうことだ。おそらく、結婚すること自体に利点が発生するのは、年収がある範囲にあるときだ(感覚的には、都市部で三百万から六百万くらい)。

これは、どこまでも、単なるリアルの話だ。俺は、悪夢のなかで頭をすりつけるやわらかな胸を必要とするけれど、そのために結婚するほど変態的な趣味は持っていない。

ちなみに年収は秘密だ。