ぼくもいくらか引用する。

 ツンドラで凍ったマンモスみたいだと、志垣は言った。freeze. 傑は言った。瞬間解凍しているわけですね。
 では、凍っていなかった俺はどうなるのだろう。三十年を莫賓で過ごした俺は、解凍された俺に呑み込まれてしまうのか。まさか、そんなことがあるはずもなかった。現実に、その俺とこの俺を、区別するものは何ひとつなかった。
 浦島太郎は白髪の老人になれて幸運だったに違いない。よぼよぼの年寄りに変えた煙は、海底の女王からの最高の手土産だったのだ。
 俺の玉手箱は誰が用意したのだろう? 彼はやにわに訝しんだ。
矢作俊彦『ららら科學の子』406頁)

玉手箱を開けた浦島太郎は、竜宮城にいた間に現世で流れていた年月を、七百年ぶんの歳を手に入れる。この世界に順応するための小道具だ。それは、外見までも変じてしまう。その点がひとつのポイントであると思う。その点をもって、主人公は浦島太郎は幸運だったと言っている。つまり、(竜宮城で過ごした浦島太郎が比喩する)「凍っていなかった俺」と、(玉手箱を開けた浦島太郎が比喩する)「解凍された俺」を、(浦島太郎とは違って)「現実に」「区別するものは何ひとつな」いと。現実の身体さえ変容し、「解凍された俺」に固定してしまうほどの神通力を持った玉手箱を、主人公は手にいれられなかった。幸運ではなかった主人公は、しょうがないから、街をうろうろしながら、「その俺とこの俺」のおりあいをつけるべく頑張る羽目になる。ぼくは、うん、そっか、がんばってね、とつぶやく。なんて、読み方はそれなりにまっとうではあるはずだ(多数派であるなんて、口が裂けても言わないけどさ)。

もちろん、浦島太郎をうらやましいと主人公が考えていると読むことはできて、たとえば、歳を取った浦島太郎がセンチメンタルとノスタルジーを抱えて海岸にたたずむ情景を想像して、それを主人公に重ねることはできる(こっちのほうが一般的な気がする)。こんな感じに読むと、id:Ririka 氏の元々の引用みたいになるんじゃないかしら、とぼくは邪推したわけで、お気に触ったら申し訳ない。