「君は正しい、僕も正しい。」と『宇宙 日本 世田谷』から引用してから、いくつかの注釈を。

基本的なアイディアは(まだ読み終わっていない)経済学の教科書から引用してきたもので、そこに「努力」というトリックを入れただけ。私が示したモデルが、まあまあ正しかったとして、それを発展させていくと、確かに関数Rの性能の話をしなければならなくなる。同時にそれは、戦術の話でもある。

ここでは、努力Eに対する見返りR(E)が関数として定義されており、欲望Dに対して、D<R(E)を成り立たせるための方法論について議論する。

言うまでもなく、ひとつの戦術はEを増大させることだった。シンプルに言えば、それは「金持ち」になることだ。しかし、それはなかなか難しいということも判っている。だって、一部上場の企業に就職したって、二昔前のお見合い要員がやってた仕事なんて、今じゃ派遣の姉ちゃんたちに取って変わられちゃってるわけだし。つまり、かなりの「金持ち」になんなきゃダメってわけ。

(欲望Dの縮小については、既に述べたので、ここでは飛ばすことにする)

次に努力|E|が一定の場合について考えよう。E=(e0,e1,…,eN)のように与えられているとすると、|E|=Σe(e0からeNまで全部、足し合わせたもの)みたいな感じになる(もちろん二乗和を取ってもいい)。これはたとえば、三時間自由な時間があるとして、それをエステやマッサージやネイルに使うのと、英会話と資格の勉強に使うのの、どっちがモテるかって話だ(どっちもどっちだけどさ)。このような場合において、最適な(あるいは局所最適な)努力Eは決定可能だろうか? 現在のモデルでは、おそらく不可能だ。

問題は、見返りRの定義を曖昧にしてきたことにある。努力Eはたぶん経済学で言うところの資源賦存量に対応していて、そこから後は、貨幣と市場の登場を回避するために効用の存在を曖昧にした。さて、それを明確に定義することはできるだろうか? その難しさの一端は、既に示されているわけだけれど。