サブカルではないが、オタクだったように思う。あるいは、現在進行形で。過去にほっかむりするプレイはもちろん試してみたけれど、それだって唇を歪めて、それがプレイだって伝わるようにしていたはずだ。

でも、(架空の)恋愛市場から降りたって気分はない。結局、降りられやしなかったんだって、それが真実。理由はどれも既に誰かが言ったこと。たとえば、社会的な圧力。恋人がいない人間は、正常じゃないんだぜ、みたいな。たとえば、耳元でささやかれる言葉のここちよさ。だって、他者が自分のことを認めてくれるんだよ、自分で自分を愛さなくていいぶん楽じゃない?、とか。たとえば、単にセックス、単に肌を合わせて眠る快楽。でも、たとえばの羅列に、愛とか恋は入れてあげない。もうそんな歳じゃないから。(だから、フジュンだってののしられんのね)

オタクの男のコの大部分は、降りたいなんて思わなかったんじゃないかな。オタクであることによって、降ろされちゃっただけだ。その受け身の感覚がなかったら、あんなふうにルサンチマンが育たないんじゃん。だって、個人のリソースは有限なんだぜ。オタクであるってのは、オタクっぽいリソース配分を行うってことと(資本主義的観点からは)等価で、その場合の効用関数はモテ方向にあんまりリターンが大きくない。彼らが怒っているのは、たぶん、「リターンが大きくない」ってことのアナウンスメントがなかった、ってことなんだと思う。