匿名の男(仮に彼をAと呼ぶ)と話したこと。

活字にされたもの、印刷されたものは、ウェッブに置かれた(「置かれた」とは、もちろん、比喩でしかない)テキストよりも価値があると、Aは言った。俺は唇を折りまげ、皮肉な笑みを浮かべたが、Aには届かなかったかもしれない。気持ちは判らないでもない。改行に合わせて文章を書き、頁を開いた瞬間に飛びこんでくる文全体の印象を制御したいと思うことはあるだろう。狂信者たちはそのために HTML の表を利用してレイアウトされたコンテンツを作成し、また別の狂信者たちは CSS を使ってレイアウトされたコンテンツを作成し、あるいは PDF を使うものたちもいた。だが、くそくらえだ。マクロメディア社の FLASH のみで作成された WWW サイト? セマンティック・ウェッブ? あれもこれもそれも全部、くそくらえだ。そんなものが届かないくらい遠くまで行ってやれ。いや、行こうとしろ。と、しかし、俺は言わなかった。なぜだ?

それ以前の問題なのだ。テクノロジと文体の共犯関係。なんども繰り返された、くだらない(だけど、莫迦話をするにはちょうどいい)問題だ。それじゃあ、前回のときには誰が勝利したんだったか。たぶん、俺がAに言うべきだったことはそういうことだった。言わなかったけどね。