『滝本竜彦が漂着する場所』ノート

オーケンについて。今まで一度も、それについて語ろうと思わなかったのは、「オーケンあれば、滝本竜彦いらないじゃん」という結論になるのは恐れていたからだ。個人的には滝本竜彦はもちろん必要なのだが、それは「似たような年齢に似たような時を過ごしたから」なんてインチキくさい言葉に回収されていくんじゃないかという疑いは捨てきれない。

あるいは、滝本竜彦は九〇年代を語りすぎたのかもしれない。だけど、二十一世紀を(俺の嫌いな言い方をするなら〇〇年代を)どのように語るのだろう。それこそが漂着する場所、そして、船出する場所だ。