『滝本竜彦が漂着する場所』ノート

『夏葉薫氏の『涼宮ハルヒの憂鬱』書評』

話したこと。

超越を疎外するものとしての、恋愛があるとしたら。物語がしばしば、革命を恋愛のなかに回収していこうとするのなら、滝本竜彦が『超人計画』で向かおうとした場所にはどういった意味があるのだろう。

超越を、超人を目指し、その手段として、人間彼女を作るという方法を取り、予期されたように敗れていかなければならなかった。それは誠実さだった。革命を革命たらしめるために、滝本竜彦は敗北することを予定されていた。

けれども、それでは、なぜ、人間彼女を手段と(いやいや、目的と?)しなければならなかったのか。そんな問いをするやつぁ、うんこだ。人間彼女が欲しかったからだ。あたりまえじゃないか。

それとこれとが、アウフヘーベンできたら良かったのに。って、大丈夫、きっと、まだ望みはある。