『有料ソフトウェアの未来』

arai さんはかっこいい。そしてきっと、正しい。すくなくとも、GNU 信者と同じくらいには正しい。作家性って、削り出しのナイフの鈍い輝きみたいなもの。しかし、プログラマと呼ばれる職についているひとびとが、それを赦されるためには、法律やビジネス、すなわちシステムが変革されたとしても、なお本質的な問題が残されるのではないか。作家性が資本主義と切り離されて存在しえない以上、絶対の条件として、作品=プログラムは「消費」されなければならない。考えてみてほしい。誰が、GNU ソフトウェアを、Apache ソフトウェアを「消費」することができるだろう。対して、市販のコンピューターゲームは圧倒的な速度で「消費」されていく。いったい、プログラマと呼ばれる職についているひとびとは、「消費」を前提としたコードを生み出すことを肯定できるものだろうか?